時 | 我が漂流記

CALENDAR
S M T W T F S
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< May 2017 >>
ARCHIVES
CATEGORIES
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
エスカレーター

久しぶりに池上線に乗る用事があって、五反田駅で山手線から池上線に乗り換えるのに階段へ向かったら、エスカレーターが設置されていた。ここの階段は、昔、痛風の発作に悩まされた時に、苦しめられた難所であっただけに感慨深いものがあった。
用事を済ませて再び乗り換えで通過する時に下りのエスカレーターに乗りながら、時の流れを感じたのであった。


| | 11:13 | - | - |
さようなら2011年
東日本大震災、原発事故が起きた2011年が終わり、新たな年が始まる。苦しみは続くだろうが、これからは新たな希望を抱いて生きて行こう。
| | 23:48 | - | - |
時間よ止まれ!

「時間よ止まれ!」と叫んでみても、時は、情け容赦なく過ぎていくものである。こうしている間にも、刻一刻と、時計の針は進んでいく。目の前のことをひとつひとつ片づけて前に進むしかないのだ。


渡部さとる写真展「da.gashita 2009」開催まで
あと1日

渡部さとる×タカザワケンジ トークショー開催まで

あと10日
| | 23:59 | comments(2) | - |
41年前の今日、午前8時45分に僕は生まれた。
JUGEMテーマ:大晦日/お正月


今朝、8時45分。自宅の電話のベルが鳴った。実家の母からだった。
「誕生日おめでとう」の言葉の後に、「41年前の今日、8時45分。この時間にあなたは生まれたのよ」と言った。僕は、「ありがとう。そうなんだ」と言いながら、ちょっと意外に思った。
 以前、母から聞いたのは、41年前の12月30日に家の一階で母が横になっていたところ、部屋の窓ががらりと開いて、「いらんかね〜」と行商のおばさんが、声をかけたのに驚いて、予定日は一ヶ月以上先だったのに、急に産気づいて病院に入院し、日付が変わった31日になって出産したと聞いたので、深夜2時から早朝4時頃生まれたと思っていたのである。僕は、早産だったため、体重は2100グラムしかなく、生後すぐに保育器に入れられたと聞いた。それが、今朝、母からあらためて聞いたところ、行商のおばさんが来た時に、破水してしまったので、すぐに病院へ行ったのだが、実際に出産したのは、31日の午前8時45分だったのだそうだ。既に破水していたので、自然分娩は難しいだろうと医者から言われ、帝王切開で出産することになり、午前9時から手術を行う予定だったが、母がまだ病室のベッドにいる時に、僕は自分から生まれてきたそうである。慌てて父は医者を呼びに行ったそうだが、医者は、「みんなこうして生まれてくるなら楽でいい」と言ったそうだ。生まれてきた本人は破水してしまっているので、早く出たいと思ったのかも知れない。その辺のところは、全く記憶がないので、何とも言えないが、こうして、僕は慌ただしい年の瀬の大晦日にこの世に生を受けたのである。その後、未熟児であった僕は、高校を卒業した頃から横に大きくなっていきすっかりメタボになってしまった。子供の頃、親戚のおばさんに「大きくなったね」と言われると嬉しかったものだが、今は「大きくなった」と言われても少しも嬉しくはない。むしろ不愉快なので、できれば少しでも細くなりたいと思う今日この頃である。

写真は、生後間もないころの僕。カメラに対して、好奇心いっぱいに反応しているように見える。
| | 15:02 | comments(6) | - |
最後の将軍 徳川慶喜終焉の地
JUGEMテーマ:日記・一般


ある日、家の近所を散歩していたら、徳川慶喜終焉の地という標識を見つけた。そこは、江戸幕府の最後の将軍であった徳川慶喜が晩年、明治34年から亡くなる大正2年まで住んだ所のようである。現在は、国際仏教学大学院大学というところが、施設を建設中のようで、高い囲いがされていて、中が見えないようになっている。標識には、徳川慶喜さんが住んでいたころを偲ばせるものとして、僅かに銀杏の木だけが残っていると書かれていた。僕は、囲いの上まで高く伸びた一本の大きな銀杏の木を見つけた。僕は、その大きな銀杏の木にカメラのレンズを向けてシャッターを切った。
(レンズは借り物のシュタインハイル オートキナロン35mmf2.8)
| | 23:59 | comments(0) | - |
窓からの眺め

 部屋の窓からぼんやりと外を眺めていると、首都高速を行き交う車が次第に巨大な生物の体内を流れる血流のように思えてくる。それらは昼夜を問わず流れ続けている。僕は、その体内を彷徨うアメーバのような存在だと思えてきたのであった。
| | 13:20 | comments(7) | - |
かつてそこは銭湯だった
破壊
 かつてそこは銭湯だった。もう数年前から閉まっていたが、久しぶりに通りかかったら、取り壊されていた。しばらく銭湯には行っていないけど、気が付いたら、周りに銭湯が無くなっていた!なんてことにならないうちに、久しぶりに銭湯に行きたくなってきた。そこで僕は考えた。「ところで、最寄りの銭湯は一体どこにあるのだろうか」と。
| | 23:59 | comments(3) | - |
役割が変わっても
掲示板
 ある役割を担っている物も時を経ると、やがてその役割を終える時を迎える。そして、多くの物は、捨てられてゴミとなる。しかし、その役割を終えても、また、新たな役割を与えられて再び活かされる物もある。
 人もまた、社会の中で、役割を担うものだが、時を経て、その役割を終えた時、新たな役割を与えられて活かされていくものであると思う。子供の時は、子供の役割を担い、時を経て成長すると、大人としての役割を担う。社会に出れば、社会人として、職業人としての役割を担う。結婚すれば、妻や夫の役割を、子供を持てば、親としての役割を与えられる。むしろ、人間は物とは違い、時を経て社会の中で役割を変えながら成長していくことを運命づけられている存在なのだと思う。人間の幸福とは、その役割が変わっても活き活きと前向きに生きられるかどうかということにあるのではないかと思う。子供時代に幸福だった人が、大人になって役割が変わると、もはや、子供としての自分は周囲に受け入れられず、不幸だと感じる。そこで、大人としての役割を担うことで、別の幸せもあるはずなのだが、過去の役割にしがみつくと不幸になってしまう。それは、社会人になってからも同じだと思う。バリバリと職場で現場の仕事をしていた人が、時を経て、若い人に現場を譲る時が来る。しかし、それまでの役割に未練があると自分の新たな役割に前向きに取り組むことができず、「まだまだやれるのに」と不満を持って、過去の栄光ばかりにしがみついてしまう。自ずとその人は自分を不幸にしてしまう。こういうことは、周りから見るとよくわかるのだが、自分のこととなるとよくわからないものらしい。
 しかし、それだけなら、周囲の人が本人にその役割を担うことの重要性や、それによって得られる喜びや可能性を説明し、働きかければ良いのだろうが、一方で、その社会の方に「役割を終えたものは捨てる」という、いわば、「使い捨て」の思想が蔓延っているために、社会がもはや機能しなくなってきているような気がしてならない。新たな役割が与えられなければ、人は、それまでの役割にしがみつかざるをえなくなる。使い捨てられてはたまらないと反発もする。人も物も「使い捨て」では、その時は便利かも知れないが、早晩、限界が来るのではないかと思えてならない。
| | 23:59 | - | - |
追われているような気がする
仕事中のお巡りさん
 最近、追われているような気がしてならない。といっても、警察当局にではなく、時間にである。時間が経つのが早く感じられるようになったのは、今に始まったことではないのだが、ここのところ、やるべきことが、予定通りに片づかず、明日へ明日へと延びてしまい、いつの間にか、期限が目前に迫っているという有様で、いつもお尻に火がついているような、落ち着かない日々を送っているのである。しかしながら、僕の周りの人々は、僕を評して「マイペースだよね」と呆れたような顔をする。僕としては、こんなに焦っているのに心外なのだが、「そういう状況になるまでやるべきことをやっていないからそうなるのだ」と言われると、返す言葉がない。特に、いろいろとやるべきことがあればあるほど、ぼんやりと考え込んでしまう癖があるので、自分でも始末が悪いと思っている。特に、忙しい時は、写真を撮る精神的な余裕もなく、あたふたして、時間ばかりが経ってしまい焦燥感だけが残ってしまう。そして、やることだけは更に増えていく。この悪循環をどうにかしなければと思った僕は、一日に一つでもいいから「何かをやり終える」ことにした。できるだけ、単純な作業でもいいから、やり終えることで自信が生まれる。もし、自分の立てた目標をクリアできなかったとしても、何日かかかってもいいから、とにかくやりはじめたら、やり終えるようにすることにした。得意なことは、放っておいてもどんどんできるが、苦手だが、やらなければならないことは、なかなか進まないので、小さな目標を立てて実行する度に、ここまで出来たという達成感を自らに味わせることにしたのである。そうすることで自分の弱い部分を育てることにしたのだ。ただ、気をつけなければならないのは、他人と比較して、「自分はダメな奴だ」と自分を蔑んでしまうことだ。もし、それが自分の得意な分野だったら、「ナニクソ!」と奮起するエネルギーになるかも知れないが、不得意なことで「ダメだな」と思うと、ますますやる気が起こらなくなってしまい、問題は悪化してしまうだろう。かくして、僕は40歳にして自分自身を育てることにしたのであった。
| | 23:58 | comments(2) | - |
アパートと車
 最近、外を歩いていてついつい目がいってしまうのが、風化して時間の経過を感じさせるものである。例えば、古びた廃屋のアパートの庭先に、赤いスポーツタイプの車が何年もそこに置かれていて、半ば風景の一部と化している。そんな光景を目の当たりにしながら、かつての住人の栄華を偲んでいると、窓のカーテンを見て人の住んでいる気配を感じ、ハッとなる。よく見ると、車にはまだナンバープレートが付いていた。
| | 23:59 | comments(2) | - |
| 1/2PAGES | >>