アート | 我が漂流記

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たまには現代アートで頭を切り替える
 昨日は久しぶりに東京都現代美術館へ行った。何を展示しているのかも知らずに行ったのだが、「菅木志雄 置かれた潜在性」とコレクション展を見た。
 最近仕事でパソコンのモニターばかり見ているので、説明的ではないアナログ感満載の展示を見て、自由に物事を考えることができて良い気分転換になった。
 ひたすら何かをしているところを撮ったビデオを見たり、広い空間に張り巡らしたワイヤーの上に木片や石が置かれているのを眺めていると気分がすっとしてくるから不思議だ。
 作家の作品だけでなく、ノートに走り書きされたメモやスケッチをタッチパネルでスクロールしながら見られるコーナーがあり、それ自体が作品のようで面白かった。
 コレクション展の方も「変化する作品」として展示されていた伊藤公象「アルミナのエロス(白い固形は…)」(1984−2015)は白く崩れた素材感が見ていてとても面白い。素材のサンプルが置いてあったが触ってみると意外に固い素材で驚いた。
また、大竹伸朗の「ゴミ男」(1987)はさまざまなモノが貼り付けられていてディティールを見るのが楽しい。今では懐かしいオープンリールデッキがオブジェとして動いているのも良かった。
 モノを使った展示といえば、ナム=ジュン・パイクの「TV時計」(1984)はシャープのブラウン管テレビを何台も使っていて、懐かしかった。すでにブラウン管テレビ自体が歴史的遺物となってしまったことを実感した。
 赤色発光ダイオードを使った宮島達男の「それは変化し続ける それはあらゆるものと関係を結ぶそれは永遠に続く」(1998)は無数の数字が瞬くように変化していくのだが、それが株価の電光掲示板のようでありながら、数字自体の意味を持たず、自然の営みのようで美しかった。
| アート | 09:32 | - | - |
芸術のことは自分に従う
 
 最近知ったのだが、映画監督の小津安二郎は、生前、次の言葉を残したそうである。「ぼくの生活条件として、なんでもないことは流行に従う。重大なことは道徳に従う。芸術のことは自分に従う」。僕はこの言葉に感銘を受けた。特に「芸術のことは自分に従う」というところである。若い頃は、小津安二郎の映画は敬遠してあまり観なかったけれど、この言葉を知り、俄に小津安二郎という人物と作品に興味が湧いた。更に、小津安二郎はドイツ製の高級カメラ、ライカを愛用していたそうである。それを知り、遠い存在だった小津安二郎監督が急に身近な存在として感じられた。早速、DVDで小津作品を観ることにしよう。それにしても、どの作品から観るのかは悩ましいところである。
| アート | 23:05 | comments(7) | - |
「実用のためでなく」
 
  昨日、久しぶりに江古田の日芸を訪れた。ここ数年、校舎の建て替え工事で、中の様子がわからなかったが、囲いが取り払われて、校舎が見えるようになっていた。日芸で講師をしている大学の先輩と飲む約束をしたら、新しくできた入り口の広場を待ち合わせ場所に指定された。以前の正門かと思ったら、駅に近い所に入り口ができていた。しかし、驚いたのは、その広場に妙な建築物が建っていたからである。ガラス張りの卵を倒したような建物が広場のかなりの空間を占めていた。見た目にはインパクトがあるが、中を覗くと、昔、図書館にあった「サムトラケのニケ」と他に何かのオブジェが置いてあるぐらいで、実に贅沢な空間の使い方だった。これが、国の施設だったら、「仕分人」に事業仕分けの対象にされそうな建物だなと思ったりした。案内板には、この建物は「ギャラリー棟」と書かれていた。
 僕は先輩を待つ間、この建物を見ていて、国語辞典の「芸術」の項目に書かれていた言葉を思い出した。「実用のためでなく、作品のおもしろさ、うつくしさ、迫力などをつくりだすのを目的として、作品をつくること。また、そうしてつくられた文学・絵画・彫刻・音楽・映画などの作品。」なるほど、確かに、これは「芸術」かも知れないと思った。
| アート | 12:36 | comments(2) | - |
縛られた地図
 
 散歩に出かけると、時に思いがけないものに遭遇する。今日も散歩の途中、面白いものを発見した。といっても、ごく見慣れた地図の案内板をロープで縛っただけのものである。
 
 それにしても、ごくありふれたものをロープで縛るだけで、非日常的な作品を作るセンスには脱帽した。作者の名前を探したが、どこにも見当たらなかったので、なんと奥ゆかしいのだろうと思った。僕の場合、ギャラリーで額に入れられ、作家のサインとエディションを付けて高額な商品として売買される作品よりも、こうして路上で無記名のまま展示されている作品の方がよっぽど心を動かされることがある。ギャラリーに足を運ぶのも良いが、僕にとっては散歩に行くことも十分に刺激になることなのだ。
| アート | 23:57 | comments(0) | - |
図録「歴史の歴史 杉本博司」 
JUGEMテーマ:アート・デザイン

金沢21世紀美術館で開催されている「杉本博司 歴史の歴史」展の図録「歴史の歴史 杉本博司」を手に入れた。図録といっても336頁というボリュームなので、大型の写真集と言った方が良いのかも知れない。これが8千円台で買えるというのは安いと思った。実際の展示を見た上でも、小さなものはより大きく印刷されており、杉本氏本人の文章も載っているので、あらためて見る楽しみがある。
 青山ブックセンターでこの図録の出版を記念して杉本博司氏による講演会とサイン会が開かれたので行ってきた。講演会そのものは金沢21世紀美術館の展示を杉本氏本人がスライドショーを見せながら紹介していく内容で実物を見てきた僕にとっては新しい発見はなかったが、最後の質疑応答の際に杉本氏が、「収集は創作の糧である」という趣旨のことを言ったのは、名言だと思った。実際、この図録に載っている夥しい数の文物は杉本氏のコレクションであり、高価でもどうしても欲しいものがあった場合には、それを買うためにせっせと作品を作り、稼いだ金で購入したのだという。僕はその話を聞いて感動した。現在の世界的な不況の中で、自らのコレクションを公開し、「収集は創作の糧である」と言い切ってしまう杉本氏は、僕には眩しかった。やはり、どんな世界でも成功した人の言葉というのは含蓄があると思った。僕も「物欲は創作の糧である」なんて人前で言えたらどんなに良いのだろうと思ったのである。
 因みに、杉本博司氏は、現在、頼まれて、静岡県三島市に写真の美術館を作る計画に携わっているとのこと。また、自らのコレクションを後世に残すため、小田原に土地を確保し、博物館のようなものを建設する準備をしているという。今後の杉本氏の活動に注目したいと思う。
| アート | 23:59 | comments(0) | - |
杉本博司 歴史の歴史

 朝、目覚めた時、寝不足のせいか瞼が重かった。枕元の時計を覗き込んだのだが、まだ視界がぼやけていた。

 焦点が合うと、午前7時30分を回ったところだった。その後、朝食を摂り、市内を撮影した後、今回の旅の目的を果たすため、我々は、目的地へ向かった。
 今回、我々が金沢に来た真の目的は、撮影旅行ではない。金沢21世紀美術館で開催されている「杉本博司 歴史の歴史」展を見るためである。写真家杉本博司のファンである写真仲間に誘われて、同行することにしたのである。3年前に森美術館で開かれた杉本博司氏の回顧展「時間の終わり」には行かなかったので、今回、杉本博司とは一体どんな写真家なのか大いに見聞してやろうと金沢までやってきたのである。
 しかし、実際に会場に行ってみると、杉本博司氏の写真展というよりも、杉本博司氏のコレクションの展示であった。化石に始まり、寺院の古い廃材、東京裁判のA級戦犯の写真、隕石や土偶、アポロ計画の宇宙食など一見脈絡のないコレクションがカテゴリーごとに展示されているのである。これらが、単にどこかの金持ちのお宝自慢の類であったなら金沢まで見にきた甲斐もないのだが、そこに展示されているものを見ていると次第に気分が悪くなってきた。ストレッチャーに乗せられた石棒や解剖の絵図、しかも内蔵を露にした女性はこちらを見て微笑んでいる。更に男性生殖器や女性生殖器、両性具有の図なども見ていてかなり気色の悪いものが、これでもかこれでもかと眼前に提示されるのである。コレクションを見ているうちに、持ち主は、映画「羊たちの沈黙」のレクター博士のような猟奇殺人犯ではないかとさえ思えてきた。唯一、コレクションを見ていて「これは欲しい」と思ったのは、「横浜写真」という富士山を写した明治時代の写真で、外国人のお土産として制作されたものを杉本氏が硝子乾板から大きく延ばして彩色を施したものだそうだが、100年以上前にここまで奇麗な写真を撮る技術があったのかと思うと感動した。また、数は少なかったが杉本博司氏の写真作品も展示されていた。中でも、「放電場」というシリーズは電気を発生させて撮ったもので、見ていると、得体の知れない生き物をレントゲンで透かしたように、体中を無数の血管が走っているように見えるので、見ていて血の気が引く思いがした。そして、日本の中世のコレクションに関しては、明恵上人に関するものがいくつかあり、興味がそそられた。
僕は全てのコレクションを見終わった時、強い疲労感に襲われた。しかし、時間が経つにつれて、見ている時には嫌悪感さえ抱いたものたちが、強く印象に残っていて頭から離れなくなっていることに気がついた。もしかしたら、それらの物が放つこの強烈な印象こそが、杉本氏をしてそれらを収集させた原動力になっているのかも知れないと思うのであった。

JUGEMテーマ:アート・デザイン


| アート | 23:59 | comments(0) | - |
アメリカの切絵師
nagune
 個展が終わってから何だか身体に力が入らない。何をするのも億劫で、しまいには、何処へも行かずに一日が終わってしまっていたりする。それでも、2Bの友人が新宿のゴールデン街で個展を開催中であったので駆けつけた。会場は、以前、2Bの田中真一郎さんが写真展を開催したギャラリーバーのnaguneであった。
lee
写真展を開催していたのは、今年、四谷三丁目のニエプスで個展を開催したばかりの三田基樹さんであった。三田さんは、来年2月のルデコジャックでも僕と同じ6階で個展の開催が既に決定している。
フランスの大道
写真を観た後で冷たいお茶を飲みながら写真談義をしていると、見知らぬ外人さんがやって来てGR1Vを出して見せた。僕は、すかさず、その姿をGRデジタルで撮った。彼はパリからやって来たと言った。名前はジャン=マリー何とかと言う名前だった。何でも最近パリでは人々は肖像権の病に取り憑かれてしまい、一切、スナップ写真は撮れないのだとか。その反動で日本では極道関係の方の葬儀をGRでルポルタージュした作品を撮ったそうである。
アメリカの切絵師
一緒にいたアメリカ人のジョンは何と切絵師であった。以前は浦安方面の有名なネズミのキャラクターのいるテーマパークで働いていたそうだが、現在は、猫のキャラクターで有名なテーマパークで切絵師として働いているそうだ。芸は身を助けると言うが、僕も何か芸を身につけなければと思った。
切り絵をする
ジョンは早速、その腕前を披露してくれた。マスターから鋏を借りると三田さんをモデルにしてそこらにあった紙で切絵を始めたのである。
完成
切絵を始めるとものの数分で見事なポートレートが完成した。
似ている
こうして本人と並べてみるとその出来映えは一層素晴らしく思えた。
切絵
僕は、その切絵を見て、子供の頃、家族で東京タワーかどこかへ行った時にベレー帽を冠ったおじさんに作ってもらった幼い日の自分の切絵のことを思い出して懐かしくなったのであった。
| アート | 23:59 | comments(2) | - |
藤森建築と路上観察
ホームからの眺め
 好天に恵まれた日曜日であるが、面白いという評判の展示を観に出かけた。
初台の巨人
会場は、初台のオペラシティにあり、もの言わぬ巨人が僕を出迎えてくれた。巨人は何かを観て愕然としているように見えた。さて、千円の入場料を支払って観たのは「藤森建築と路上観察」である。建築の展示と聞いて難しいものを想像して行ったのだが、これが実に面白いのである。藤森さんが建築に使った道具や仕上げのサンプルなどから始まって、実際に作った家の写真が展示されているのだが、木の上に作った茶室だとか、屋根の上に植物を生やしたり、何だかとても親しみやすいものだった。終わりの方に縄で編んだ竪穴式住居のようなものの中に腰を屈めて入ってみると、そこには路上観察の写真がスクリーンに映し出されていた。これはとても面白かった。写真を見てこれだけ笑えるというのは実に希である。長期間に撮影されたものの中から選び抜かれた作品だけに笑いながら関心してしまった。最後に路上観察学会のメンバーの「資料」が展示されていたのだが、これまでの出版物や作品の展示の中に若き日のノートや子供の頃の絵日記が展示されていて大変興味深かった。なぜなら、それらの中に既に現在の「研究」の片鱗が認められるからである。「三つ子の魂百まで」とはこのことであろう。ミュージアムショップで藤森照信さんの「人類と建築の歴史」を購入。表へ出たら天気が良いので、新宿まで歩くことにする。途中、頭上の首都高速が美しかったのでRD−1で撮影しながら歩行したのであった。
| アート | 23:22 | comments(4) | - |
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