写真 | 我が漂流記

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胸の振り子さんの写真と幻の映画

あれは二月程前のことだった。 いつものようにSNSをチェックしていると、ある写真仲間が亡くなったことを知らせる記事が投稿されていた。その投稿は交通事故について書かれた地方紙を引用していて、午前5時過ぎに交差点で友人が運転する軽自動車がトラックと衝突して友人が亡くなったことが最低限の客観的事実として綴られていた。 何度もそこに書かれている名前を読み返してみたが、やはり亡くなったのはその人に間違いないようだった。その日は僕も早朝から仕事で出かけていたのだが、その時間はまだ暗く、自分の吐く息が白くなる程とても寒かったことを覚えている。 それにしても、つい一日か二日前にはTwitterの彼の投稿を見ていたし、こちらの投稿にも反応してくれていた人が既にこの世の人ではなくなっていることに驚きを隠せなかった。数ヶ月前、京橋で開かれていた田中長徳氏の写真展に行ったところ、偶然、そこで会ったのが最後になってしまった。 彼はTwitterで胸の振り子というハンドルネームで投稿していた。名前の由来は心臓専門の医師であるからだと聞いた。身体は大きいが繊細でいつも穏やかに話す紳士的な人だった。年齢は僕よりも10才は上だったが、カメラ好きで、写真用のカメラだけでなく、ムービーのカメラも所有していたので、会えばカメラの話で盛り上がったものだった。 丁度、京橋で会った時も、「アリフレックスの35mmのムービーカメラを手に入れたので、スチール用のフィルムで撮影して、自分で現像するのが楽しみだ」と言っていた。その時の振り子さんの悪戯っ子のような笑顔が忘れられない。 胸の振り子さんは、フィルムのムービーカメラだけでなく、プロが使う最新のデジタルムービーカメラで映像を撮っていた。アメリカのRED社が開発したカメラで「おわら風の盆」などの日本の伝統的な祭りを撮っていたのである。時々、SNSに投稿された動画を断片的に見ただけだったが、編集して一本の作品として見ることができなかったのが残念である。そういえば、僕にRED社の最初の4Kカメラ、REDONEを「中古で買いませんか?」と仲介してくれたのも胸の振り子さんだった。 胸の振り子さんが亡くなってから、親しくしていた友人から話を聞いて、ここ数年、勤め先が変わったりしていたことを知った。趣味の繋がりで知り合ったので、僕には自らの苦労などは口には出さなかったけれど、穏やかな笑顔の裏では苦労されていたんだなと思った。 それにしても、仕事も忙しかったはずなのだが、数年前に一緒に参加した写真展で展示していた写真も8x10の大きなカメラで、日本中のあちこちを精力的に撮影していたことが思い出される。あの時展示していた膨大な写真をもう見られないのかと思うと残念でならなかった。 しかし、振り子さんが亡くなって遺品の整理をすると聞いて、写真仲間が振り子さんの写真をもう一度展示してはどうかと企画を立ち上げた。遺族から写真やフィルムを預かってスキャンをしているという。近いうちに展示が実現することになりそうだ。 写真仲間から胸の振り子さんの回顧展の企画の話を聞いてまもなく、僕は夢を見た。胸の振り子さんが住んでいた大きな家に招待され、胸の振り子さんがこれまで4Kで撮影してきた自主制作の映画が完成したのでその試写をするというのである。振り子さんは、にこにこしながら、完成した映画を大きなモニターで見せてくれた。僕は、その素朴な映像と斬新な編集にすっかり魅せられてしまった。それは、寺山修司のような実験的な精神に満ちていながら、何か心を打つような作品でとても感動したのである。僕は作品を観終わるや否や、振り子さんに「凄い作品ができましたね!」と思わず作者である振り子さんに握手を求めたのだが、振り子さんは、少し照れたように静かに笑っているのだった。夢から目覚めた後でもとてもリアルだったので僕はただの夢とは思えなかった。
もう胸の振り子さんには会うことはできないと思うととても淋しい。しかし、胸の振り子さんが撮影した写真と再会できる日が近いと思うととても楽しみでもある。胸の振り子さんが見ていたものは何だったのか?もう一度、彼の写真を見て確かめたいと思っている。 そして、最近、めっきり持ち出すことのなくなった古ぼけたフィルムカメラを久しぶりに箱から出していつも使っている鞄の中に忍ばせた。
| 写真 | 18:08 | - | - |
2Bとマンデリンと師匠

ここ数年、年が明けると、中野のギャラリー冬青で渡部さとる師匠の写真展を観に行くのが恒例になっている。今回の写真展のタイトルは「2Bとマンデリン?そして僕はこの町を離れる」だった。 これまでは横文字のタイトルで、読んだだけではよくわからないものが多かったのだが、今回は、渡部師匠のワークショップの本拠地であり、事務所として長年使用してきた2Bと江古田の街の写真であることがわかるものだった。マンデリンというのは何だろうと思ったのだが、渡部師匠が学生時代から通っている江古田にある喫茶店のコーヒー豆の種類のことだそうである。 そして、サブタイトルに「そして僕はこの街を離れる」とある通り、 2Bはビルの建て替えによって取り壊され、渡部師匠はワークショップとともに立ち退きを迫られることになったのである。 そうした経緯を知ると、矢も盾もたまらず、写真展の初日に行くことにした。 久しぶりに中野に出たので中古カメラ店を覗いて、腹拵えをしてからギャラリーに向かって歩き出すと、不意に駅前でコートを着たサラリーマンに声をかけられた。振り向くと、ワークショップで知り合った友人だった。 彼もこれからギャラリーに行くところだと言う。 駅からの長い道程を一人で歩くよりも、カメラの話をしながら歩く方が楽しいし、疲れない。 ギャラリーに着くと、渡部師匠がご夫妻で在廊していたので、写真を観ながら、江古田の街の話をしているうちに、「あゝ、あそこもここも、もうないんだな」と実感した。 2Bの入っているビルを撮った写真を見ていたら、 渡部さとる師匠に「何年、あそこにいたの?」 と聞かれて、「2年です」と答えたら、 「そうなの?たった2年?」と驚いていた。僕自身は学生時代とワークショップの縁で再び江古田に住んだ2年間を合わせてもほんの数年しか住んでいないのだが、渡部さとる師匠は上京してから約40年間、江古田周辺に居たのだから、そこを離れることはわかっていても、実際に離れてしまうことをまだ実感できていないのではないか?と思った。 江古田の写真を見ているうちに、久しぶりに江古田の街を歩きたくなった。 1月も終わる頃、そろそろ会期も終わるので再び、ギャラリー冬青を訪れた。ギャラリーの周りには数日前に降った雪がまだ相当残っていて、駐車場で大きなスコップで雪掻きをしている人を見かけた。ギャラリーに展示されている写真をあらためて見ていくと、すでに取り壊されて、今は存在しない「銭湯の壁」の写真が何点も売れていたのに気がついた。普通の人が見たら、ただの壁にしか見えない写真である。しかし、その「ただの壁」はワークショップ2Bを受講した人なら誰でも記憶に残っている特別な壁であることを僕は知っていた。 渡部さんに「この壁の写真買ったのって、2Bの人ですよね」と言うと「そりゃ、そうだよね」と渡部さんは笑った。ワークショップで、その銭湯の壁を使って僕たちは、写真を撮る際の光の見方を学んだからである。僕が学生時代に住んでいた頃はまだ本来の銭湯の壁として存在していたその壁は、僕がワークショップを受けた時には、駐車場の壁となっていた。ワークショップで江古田の街を撮り歩きながら、その駐車場にやって来ると、渡部さんは、僕らにその壁を指差した。その壁に差し込んだ光は柔らかく、その前に人を立たせて撮るとまるでスタジオのように撮れるので、渡部さんは、そこで僕らに「感度分の16」というやり方で写真を撮る際の光の見方を教えてくれたものである。 しかし、その壁は今、取り壊されて、すでにない。だから、その壁の写真を見ると特別なものとして僕らには見えるのだ。 僕は、渡部さんに取り壊される前の2Bを映像の記録として、あらためて撮影させてもらいたいと申し出たのである。
| 写真 | 17:48 | - | - |
練馬区旭ヶ丘
久しぶりにカメラ雑誌「日本カメラ」を買った。別に新しいカメラに興味がある訳ではない。写真家の田中長徳さんが新たに連載を始めたからである。先日、御茶ノ水のギャラリー、バウハウスで開催中の長徳さんの写真展に行った際に、長徳さんご本人から、「今度、日本カメラで、東京の写真の連載が始まるんです」と伺っていたので、早速、注文したのである。連載は東京オリンピックが開催された1960年代の東京の写真と2回目の東京オリンピックが開かれる2020年までの東京の写真と文章で構成されるそうなのだが、その連載の第一回のタイトルが「練馬区旭ヶ丘」なのであった。僕自身、学生時代を含めて何年か住んでいた場所なので、思わず写真を食い入るように見たのだが、流石に1966年当時の写真から場所を特定することは出来なかったが、長徳さんの文章を読みながら、また江古田駅の周辺を歩いてみたくなったのである。
| 写真 | 23:48 | - | - |
走馬灯のような写真集を見る

昨日は、渡部さとる写真展『demain 2017』を観に中野のギャラリー冬青へ行った。今週末で会期が終わるので、滑り込んだのである。写真はこれまでに観たり、所有している写真も一部あったのだが、渡部さんがプロになってからの写真と学生時代の写真が混じっていて面白い。学生時代の写真を撮り始めた頃の写真は作為がなく素直なところがとても良いのである。今回の写真展に合わせて出版された写真集を見せてもらった。すると、見たことのない古い写真や子供の頃のアルバムの写真も入っていて興味深く、何度もページをめくって眺めた。渡部さんに写真集の見慣れない古い写真について訊ねると、旅先の屋久島で見せてもらったアルバムの写真を何点か入れているとのことだった。渡部さんが撮った写真と全く違う写真だが、渡部さんが見てきた記憶をまとめたもの、あるいは、渡部さんが鞄の中に大事に持っていた所持品の写真を取り出して並べたものだと思うととてもしっくりきたのである。渡部さんの人生を写真で綴る記録として読むとなんだかスッと入ってくる内容だった。渡部さんに写真集のコンセプトを訊ねると、走馬灯という言葉が出てきた。死ぬ間際に頭の中に記憶が映像として次々によみがえってくるというあれである。 渡部さんが最近興味を持っていること、現代美術、キリスト教、仏教、日本人の精神性などについて話をする。渡部さんが構想している本の話も面白かった。僕もただ生きるのではなく、もっと自由に生きようと思ったのであった。
| 写真 | 09:46 | - | - |
マルティン・チャンビ写真展でガラス乾板を見直した
 広尾のペルー大使館にマルティン・チャンビ写真展を観に行った。会場で貰ったパンフレットを読むと、マルティン・チャンビは1891年生まれのペルーの写真家で約100年前にクスコで写真スタジオを開設して多くの写真を残したとのことだった。展示されている写真を見ていると、90年以上前に撮られたとは思えない程、シャープで立体感があり、圧倒された。また、スタジオで撮影された住民の男性のポートレートは着ている服の擦り切れた感じがとても立体感があって肌触りまでわかりそうな質感が感じられるのである。その写真の下の端の方を見ると、黒く歪に欠けているところがあった。それを見て「これはガラスのネガが欠けてしまったのだな」と思った。僕も数年前にインターネットでドイツのショップから撮影用にガラス乾板を輸入して使ったことがあるのだが、気をつけないといつの間にか端の方が欠けてしまったことがあったのである。その時も、人物を撮影したガラス乾板のネガを現像してみたら、洋服の皺がとても立体感のある感じになったので驚いたのだった。フィルムの登場する前にこんなに素晴らしいシステムがあったのかと思ったものである。輸入したガラス乾板はAGFAブランドで赤い箱に10枚入っていた。何十年ぶりかで復刻したもので、6.5cmx9cmの古い乾板用のカメラに専用のフォルダーに入れてそのまま使えるものだったので、田村写真の田村さんに譲ってもらった古いフォクトレンダーの蛇腹のカメラで撮ってみたのだった。それでも、10枚セットで1万数千円したので、写真展に参加するために撮ったきり、そのまま撮ることはなかったのである。しかし、今回のマルティン・チャンビの写真を見ている内にガラス乾板の魅力にすっかり取り憑かれてしまった。展示されている写真の中に密着プリントと思われる写真があったが、6.5cmx9cmよりも遥かに大きいサイズで、4x5よりも細長いフォーマットだった。写真を見るといくつかのフォーマットで撮っていると思われるが、いずれも大判のカメラだと思われる。写真の一つにクスコの遺跡を眺めるマルティン・チャンビのセルフポートレートがあった。そのチャンビの足下の辺りを見ると、AGFAという白い文字が裏返しに刻印されていた。

マルティン・チャンビ写真展

http://martinchambi.org/en/

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| 写真 | 18:29 | - | - |
内藤さゆり写真展「Once in a Blue Moon」
JUGEMテーマ:写真

先日、久しぶりに四谷三丁目で電車を降りた。

写真家の内藤さゆりさんの写真展『Once in a Blue Moon』を観に行くためである。初めて行くギャラリーだったので、スマホの地図アプリを見ながら歩いていたら、中古カメラ店、アローカメラの入口の前に出たので、思わず吸い込まれそうになったが、我慢して、道に迷いながらも、なんとか無事にギャラリーに辿り着いたのである。展示されていたのは、以前、品川のCanonギャラリーSで展示されていたロンドンのシリーズ。

それらの誰も写っていない都市の風景を初めて観た時、核戦争後の未来をイメージしたことを思い出した。

僕はロンドンに行ったことはないけれど、この街で、明治の文豪、夏目漱石も留学中に神経衰弱に罹ったことを思い出し、きっと陰鬱な所なのだろうと思った。

今回の写真展では、Canonの時とは違い、作品のサイズを小さくプリントして額装していた。そして、去年、発売したという写真展と同名の写真集『Once in a Blue Moon』も置いてあった。この写真集が良かった。京都の印刷所で印刷したという大判のハードカバーの写真集で、108ページのボリュームである。在廊していた内藤さんが、カバーを外して背にタイトルの文字が箔押ししてあるのがこだわりだと言った。

内藤さんがこのシリーズの撮影のためにロンドンに滞在したのは僅か二週間。それで、写真展を開き、写真集を作ってしまったことを考えると、すごく効率的だなと思った。

あらためて、内藤さんにそう言うと、「カメラマンの仕事だとそういうことは当たり前だから」と言った。

内藤さんがこのシリーズを撮影したのは、ライカのM240という高額なデジタルカメラとライツのレンズの組み合わせだそうだが、解像度の高さよりも、レンズの収差の目立つ写真を見ていると、いつの時代の写真かわからなくなってきた。

因みに、内藤さんが約10年前に新宿のコニカミノルタギャラリーで展示した「多摩川日和」のシリーズは安価なトイカメラのホルガで撮られたものだったが、そのイメージの本質は今も変わってはいない気がした。

内藤さんには、出来れば、誰もいなくなった日本の地方を撮って頂きたいと思ったのであった。


内藤さゆり写真展「Once in a Blue Moon」
http://queuegallery.com/top.html


SAYURI NAITO PHOTOGRAPHS
http://sayuri7110.petit.cc
| 写真 | 00:55 | - | - |
長谷川冬樹写真展「ε0(イプシロンゼロ)」
JUGEMテーマ:写真


銀座ニコンサロンで開催中の長谷川冬樹写真展「ε 0(イプシロンゼロ)」を観に行った。
写真はモノクロの街のスナップである。作品の中に写り込みを活かした造形が幾つかあって、観ていて思わず頬が緩んだ。
作者の長谷川さんとは写真家の渡部さとるさんのワークショップを通じて数年前に知り合ったのだが、その頃はカメラやレンズの話をした記憶しか残っていない。しかし、その後、写真家の白岡順さんが主宰していた講評講座を見学しに行った際、長谷川さんの発表の番になると、参加していた人たちが、彼の写真に対して忌憚のない意見を次々に述べるのを目の当たりにして、僕は、すっかり自信をなくしてしまい、受講するのを諦めてしまったのだった。その時、白岡さんが「それでも、この写真はいいと思うよ」とフォローされていたのが印象に残っている。そんな時でも、長谷川さんは穏やかな笑顔を浮かべながら、参加者の批評を全て受け止め、プレゼンを続けていたのである。
あれから数年が過ぎたが、長谷川さんは、その間、写真を撮り続け、ニコンサロンにずっと作品を応募し続けていたそうだ。
眼の前に展示されている写真は僕があの時観た写真とは全く印象が異なっていた。
長谷川さんによると、今から1年前、白岡さんに写真を見せた時、白岡さんは「どうして、この写真が通らないのかね」と言っていたそうである。
長谷川さんは、大手電機メーカーで半導体の開発に携わったエンジニアだったそうである。しかし、40台後半に差し掛かった頃、そのキャリアを捨てて写真家として第二の人生を歩み始めた。欧米ではそういう人がいるとは聞いたことがあるけれど、なかなか勇気のいることだったのではないだろうか。
一緒に展示を観ていた友人が、突然、「え?これデジタルなの?!」と声を上げた。すっかり、銀塩プリントだと思って見ていたらしい。長谷川さんに使用した機材がソニーのデジタルカメラのα7にM型ライカ用のズミクロン50mmF2やエルマリート28mmF2.8の組み合わせで撮ったデータをハンネミューレのバライタ紙にプリントしたと聞いて驚いていた。(機材の件で後で確認したところ、一部、ニコンのD800で撮影した写真もあるそうだ。)確かに知らなければ、銀塩プリントだと思ったかもしれない。
長谷川さんに先日、亡くなった白岡さんはこの写真を観たのですか?と聞いたら、何割か見てもらった作品は入っているけれど、見せられなかった写真もかなりあるとのことだった。
ただ、去年の暮れ、長谷川さんが市ヶ谷のカロタイプに荷物の整理に行った際、久しぶりに会った白岡さんは、長谷川さんの銀座ニコンサロンでの展示が決まったことを大変喜んでくれたそうだ。
その話を聞いた僕は、何よりも写真のことが好きな白岡さんのことだから、会期中、きっと、この場にやって来て、長谷川さんの写真を満足そうに観ているに違いないと思ったのであった。

長谷川冬樹写真展「ε0(イプシロンゼロ)」

 
| 写真 | 21:43 | - | - |
やってしまった!

別に何か大きな失敗をしてしまったわけではない。そういうタイトルの写真展に行って来たのだ。どうしてこんなタイトルをつけるのだろうと思うのだが、実際に観に行ってみると、普通の写真のグループ展なのである。この写真展は写真家の渡部さとる氏が主宰する写真のワークショップの受講生が展示する、いわば卒業展である。僕自身も10年程前にこのワークショップに通い、同じ場所で展示したのを思い出す。確かあの時の写真展のタイトルも変なタイトルだった。確か「茫然自失…」だったと思う。あの時は時間とお金もあったなと思う。
今回の展示では、香港の古いアパートのバルコニーに住んでいる人々が写っている写真が面白かった。ちょっとだけ、グルスキーを思い出した。受講生の写真に混じって渡部さとる師匠の冬の米沢の写真が展示してあって懐かしかった。
雪の壁の写真とローカル線の写真はいずれも人気の作品である。
| 写真 | 15:15 | - | - |
日暮里に湿板写真館がオープン?
日暮里に湿板写真館がオープン??
ツイッターを覗いていたら、信じられない記事が流れてきた。
なんと江戸時代の撮影手法である湿板写真で撮影してくれる写真館が日暮里にオープンしたというのである。
キャビネサイズで1枚1万5千円で撮ってもらえるとのこと。
本当に営業しているのか、一度、行って確かめてみたい。
但し、湿板写真は免許証やパスポート、お見合い写真や履歴書には向かないので、実用ではなく、完全に趣味で撮ってもらうつもりで…

甦る古典撮影技法 湿板写真館がオープン:銀塩手帖
http://camerafan.jp/cc_sp.php?i=351
| 写真 | 13:32 | - | - |
世界は狭い
 先日、ベルギーから来た友人と話をしていて好きな写真家を聞いたら、Miki Hasegawaが好きだという。聞いたことのある名前だなと思ったが、ハンドメイドで作った写真集を持っていてとても気に入っているそうだ。
去年、アートブックフェアでそんな話を聞いたことを思い出し、世界は狭いなと思ったのである。
http://www.miki-hasegawa.com/book/

 
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