痛み止めの薬が効いたのか、朝起きると、少しだけ足の痛みが和らいでいるような気がした。早速、朝食後、痛み止めの薬を飲む。午後になって再び、病院へ行くため、マンションの階段を下りる。今日は、なんとか一人で下りることができた。マンションの前でタクシーを捕まえて病院へ行く。昨日とは別の整形外科の医者が診てくれた。血液検査の結果を見ながら、やはり、尿酸値が高いことから痛風でしょうとの診断であった。食事に関するパンフレットを渡され、肉や魚にプリン体が多く含まれていることを示される。やはり、昔ながらの日本人の食べていたものが痛風には良いのだと再認識する。これは自炊するしかないと今更ながら思った。夕刻、かねてより約束していた内輪の送別会に渋谷へ向かう。松葉杖を持って電車に乗る。駅で階段を上り下りするのにいつもよりかなり時間がかかる。待ち合わせの場所へ辿り着くと、取引先を辞めて民放のラジオ局に転職する今日の主役が僕の松葉杖の姿を見て驚いている。「大丈夫ですか?」僕は「こういう機会はもうないかも知れないから」と言って笑った。彼がゆっくり話せるという和風の居酒屋に案内してくれた。飲み物は痛風なのでもちろんビールは飲まず、ウーロン茶を注文する。店員が席を外すと転職の経緯についてあらためて聞いた。彼の話を聞いていると僕より一回り以上若いとは思えないほどしっかりした考えを持っていることに感心してしまう。さすが数百倍の難関を突破しただけのことはある。彼なら新しい環境でしっかりやっていけるだろうと頼もしく思った。その後、仕事を終えたアナウンサーの友人が合流する。とても優秀な人物で、いつも話していて年下とは思えないほど大人だなと感心する人物である。僕は彼のこれからの活躍に大いに期待している。彼らと話していると日本の未来も捨てたものではないかも知れないと希望を持てるような気がしてくる。思い切って参加して良かったとしみじみと思った。店を出て渋谷で彼らと別れて、五反田まで山手線に乗る。席が空いた時に年配の男性に席を勧められる。「次、下りますから」と丁重にお断りする。その時の男性の笑顔がさわやかであった。日本もまだ捨てたものではないのかも知れないと思った。五反田からタクシーに乗る。松葉杖を見て運転手が「どうしたんですか?」と聞いてくる。「痛風なんです」と答えると「痛風はつらいですね」と言う。話をしてみると、この運転手も痛風を患っているのだという。痛風話で盛り上がりあっという間に家に着いた。家に帰ると、やはり足の痛みが気になったが、一方で思い切って外出して送別会に参加できて良かったと思うのであった。